知的・精神・発達障害者の就職・就労支援、職場定着支援を行う東京都にある就労移行支援事業所
人が社会に出る、というのは何を意味するのでしょうか。
私はそれを「自尊心と対価を得る」ことだと思っています。社会人としてお金を回せる存在になり、それによる自信を正しくもてること。それが大人として生きていく上で必要な「幸せの土台」になると思うのです。
どんな人間であれ、100%自分の力でそれができているわけではないでしょう。誰かの支援があって、そういう自分になることができている。その支援のパーセンテージが、障がいをもつ人は少し多いのです。
普通なら5%、誰かに助けられているところが、50%の助けが必要なこともある。
でも社会に出て、そこで融合することによって、自力のパーセンテージを上げることも可能です。無理をすれば潰れてしまいます。でもゆっくり実力をつけていけば、自力のパーセンテージは必ず上がっていきます。私たちは根気よく、その手伝いをしたいと思っています。
大学を卒業してすぐ、知的障がい者や自閉症の人を支援する仕事を始めました。30年間近くやってきても課題は尽きませんが、大切なことはわかってきました。
たとえば、まず「土台作り」です。
まず雇われる側の「土台」とは、躾レベルの生活行動です。出勤時間に間に合うように自分で起きる。顔を洗う。夜は適切な時間に寝る。他者の話を最後まで聞き、理解する。
仕事に関して言えば、最低でも3時間通しで作業できること。学校のように頻繁な休憩がある職場などありません。生活も、仕事も、大切な習慣は繰り返し行動することによって形成されます。
ところが一般に障がいをもちつつ就職した人たちのうち、離職してしまう人の多くは、この「土台」を実行できていないのです。土台にあたるのは、どれも一般企業の採用面接で聞かれるレベルのことではありません。適性や適職を問われる以前の問題なのです。
「土台」ができていないと、「こころ」が折れます。「こころ」が折れると、できることは更に減り、働き暮らせる範囲が狭まります。得意なものがあっても生かせません。
私たち支援者は、「土台」…つまり、生活習慣や労働習慣の確認と確立についてこそ、その真価を問われます。
障がい者が一方的に企業側に多くの配慮を求めた結果、経営状態が悪化し、お互いに「飯の食い上げ」になってしまっては、雇用になんの意味もありません。
私たちは法律を盾に「合理的配慮を」と声高に唱えたりはしません。逆説的ではありますが、「合理的配慮」とは、お膳立ての上に与えられるものではなく、自然発生するものなのではないかと思います。
実際に、私たちから見て「この人の就職は厳しいかもしれない」と思うような人を企業が「大丈夫、問題ありません」と雇用し続けているケースが複数あります。
そういった企業は、社員に能力を発揮させ、生産性を上げることを徹底して考えます。
たとえば私たちから送る情報をもとに、本人が認識しやすいノルマを設定表示したり、週間目標設定と振り返りをしたりして、生産性の向上という目標を常に意識して注意をそらさない工夫をしているのです。自ら発信することが苦手な人には、さりげなく、過不足ない声がけをして、職場の人たちとのやりとりが薄れないような工夫をしています。
企業側と我々は積極的に情報交換し、企業の生産性を高める雇用の実現を積み重ねています。
最も大切なのは、働く本人の側にその企業を「支える」という気概が生まれること。これは教えられるものではなく、自発的に生まれるもののようです。
僕らと支援を受ける人との関わりは、1本の電話から始まります。電話の相手は本人、家族、ケースワーカー、保健師、病院関係者からの問い合わせです。
その後、見学や面談を行います。ほとんどの人はその段階で「企業就労を手がかりにした社会参加と自立」という願望を抱いています。見学して説明を受けると、改めて就労自立というものを意識する人が多いようです。
意識することは、それまで漠然としていた願望を自分の心でつかみ、方向付けるということでしょう。
そして、意識したことを確認する…つまり、実習に入ります。実習を終え、僕らの支援と本人とがかみ合うかという確認を経て、実際の施設利用に進みます。
ここから就労と自立に向けた1対1の人間としての深い関わりが始まります。支援の範囲にいる彼ら彼女らには、冬場はスーツ、夏場は一般的なクールビスのスタイルで来てもらっています。既に社会につながっているということを常に意識してもらうためです。
取引先企業の方も出入りします。企業の採用担当者からの見学もあります。見にこられて「うちの新入社員も研修させたい」とおっしゃる方もいるほどです。そう言っていただけるような場にいるからこそ、真の自信がつくのです。
ここではDM製作やPC入力などの事務補助、版下製作、印刷などを、様々な企業から受注して責任ある仕事をしています。
つまり、きちんと対価のある仕事をしているのです。
全体として受けた仕事を割りふり、可能なだけ引き受け、期限までに仕上げるというスケジュールを考えるのはかなり大変なことですが、私たちのやりがいでもあります。もちろん、間に合わないときは残業してもらうこともあります。
彼ら彼女らには、納品までしてもらいます。そしてその仕事の成果が、どんな風に顧客にまで届くかを確かめてもらっているのです。
多くの場合無自覚ではありますが、大学や高校にいる平均的な学生さんは、アルバイトを通じて社会の何たるかをつかみ、卒業後の社会生活に備えます。その意味で、大学や高校自体は無力です。私たちの任務は、無力な大学や高校を摸倣することではなく、平均的な学生さんが就職したときの土台になるアルバイト経験に近い環境を、学習効果をよみながら設定し、実施することです。
すべてが、仕事というものの張り合い、やりがいを実感してもらうためです。責任を果たすことで、社会との融合に必要な自尊心が自然と備わります。
そして社会で役に立つ人になってもらう。それが社会に通用するということです。
そこまでやりきることが、ftlのスタンダードなのです。